いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

タピオカミルクティーを求めて

朝目覚めると、ゴンチャを飲みたいと思った。

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ゴンチャとはタピオカミルクティーの有名店だ。ストローを吸うとスポポポポッと弾力のある玉が口内を満たし、共に広がる濃厚な甘味が福音を鳴らす。

 

イメージが広がると、もはや飲みたくて仕方がなくなった。ひと昔前の女子高生かと言いたくなったが、蠢きだした衝動はなかなか抑えられない。息子を起こさぬよう静かにカーテンを捲ると、そこには青空が広がっていた。よし、これなら行ける。

 

私は寝室でまだ眠る妻に声をかけに行った。「晴れてる。外行ける。ゴンチャを飲みに行こう!」。そんなわけで、家族で外出の支度をし、昼から自転車に乗って目的地を目指した。

 

なんやかんやがあった後。無事ゴンチャでタピオカミルクティーを買うことができた。ストローを勢いよく刺し、一口目は私からいかせてもらう。

 

スポポポポッ…ふにふにふに…ごっくん。

 

口内から幸福感がじわじわ広がっていく。一番大きなサイズを買い、妻と娘と回し飲みするのがいつものスタイルだ。みんな一息ずつだが思いっきり吸うので、カップの水面はみるみる下がっていく。

 

ただそれで構わない。タピオカミルクティーのピークは一口目にこそあるからだ。サビから始まる90年代の名曲達さながら、冒頭からの爆発力こそがこの飲み物の最大の魅力なのだ。

 

最後に氷のあいだに挟まり残ったタピオカを吸い取るのは私の仕事だ。タピオカ単体で噛むと何も味がしない。やはりミルクティーが甘かったのだとそのときに実感する。ただもちろんミルクティーだけでもあの満足感は得られない。やはりふたつが合わさってこその黄金比、アート作品なのである。

 

現在かつてのブームは穏やかに衰退していっているのだろう。それでも、私が願うのはタピオカミルクティー店が今後も生き残ってくれることだ。ブームに乗っかって量産された“なんちゃって店”はどうでもいい。本物の店は残り続けて欲しいものである。

 

目覚めから欲することはなかなかないだろうが、今後もまた飲みたくなったら買いに来よう。店が繁盛している様子を確認するたび、安心するのだった。