カーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』読了。
村上春樹が満を持して訳したというエピソード、目を奪われる綺麗な装丁。二段組みのページ構成も文庫化を待たずに単行本で所有する意義を私に与えてくれていた。機をみてしばらく前に購入した本書。ゆっくりと時間をかけ一章ずつに味わった。
そして本日ついに読み終わってみて、心に残ったのは不思議な感覚であった。エンターテイメントに富んだ内容だとは決していえない。文学小説を読み慣れていない人にとっては、結局なにが言いたかったんだと憤慨してしまうことだろう。
たしかに終盤、ひとつの事件が起きる。それにより登場人物たちにもそれぞれに変化が訪れる。だからといってそれにより、物語がドラマチックにどこか一点へと収斂していくというわけではない。我々が生きるこの世界と同様に、良くも悪くも、時の流れはいつだってポーカーフェイスなのだ。
そして物語も、そんな時の流れのなかでふいに幕を降ろす。ただそれも、あくまで小説で切り取った物語は、ということになる。降りた幕の向こう側では、登場人物たちの生活は続いていく。たとえそれが薄ぼんやりとした、希望の見えない日常であっても。
とにかく人間がよく描かれている。物語のためにこしらえられたという印象は皆無だ。実際に生きる我々と同様、一言では言い表せない、様々な感情が複雑に絡まり構成されている生き物である。ゆえにそこで交わされる会話が他人事のようには思えない。遙か昔に、遠い地、別言語で書かれた物語だというのにである。
こんな深淵なる群像劇が、わずか23歳の手によって書かれたとは驚愕である。しかもデビュー作。まごうなき天才というのはいるのだなと痛感させられる。以前読んだ同じ作者の『結婚式のメンバー』も傑作であった。他の作品も是非読んでみたいと思わされる。
転職して以降、自己研鑽のためビジネス書を読みあさる日常を送っている。文学小説を読む時間は極端に減った。それでもふいに禁断症状がでて、文学の滋養を身体が求めてしまう。そんなときに読んでいた本著は、私のすべてを過不足なしに満たしてくれた。
文学っていいな。ロジカルには決して表現できない、味わい深い世界の片隅に、やっぱり自分の小さな居場所もまだ残っているのだと、再確認させてもらった。
今後も自己研鑽する傍らにはいつでも良質な文学小説を常備しておきたい。やっぱりこれがあっての私だ。