いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

聡明で表現豊かなひと

キンモクセイの香りを吸い込み、心が弾む。

 

これだから秋は好きだ。そう高らかに宣言したくなるほどに今日の空は澄み渡っていた。買いたての長袖カットソーは風になびき、自転車の車輪も心なしかいつもよりも軽快に回っているように見えた。

 

妻の提案で、今日は万博公園のコスモス畑を訪れた。

 

木陰のそばのベンチ前に運よくシートを敷け、しばし子供たちだけで歩き回らせ、それを妻とふたりでのんびり眺めていた。一面に綺麗な花畑。日差しは少しばかり強かったが、それでも夏のそれとは異なり、肌を焦がすほどの脅威は感じられなかった。

 

コスモスと一緒に風変わりな植物も並んでいた。水彩画で描いたような愛らしい容姿だ。私はとても気に入った。子供たちの写真も、とても映えたのであった。

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綺麗な自然を味わい歩き回りながら、家族たちとの触れ合いを楽しみながら、私は昨晩の上司との会話を端々で思い返していた。

 

「結局は、自分がどうなりたいかだよ」

 

確かにその通りだ。自分の適性、能力、それ以前に、まずは自分がどうなりたいかが一番大事なのである。

 

その姿がしっかりと固まっていれば、適性や能力が現状追いついていなかろうと、そこに向けて努力を続ける他ない。進むべき方向は定まっており、立ち止まったとしてもブレずに進み続けることができるのだ。

 

どのようなコンサルタントになりたいか、生涯を通じて何を成し遂げたいか、それについては正直まだ定めることができない。ただ、どんな人になりたいか、それについてはこれだという姿がすぐに浮かんできた。

 

聡明で表現豊かなひと、そんなひとに私はなりたい。

 

帽子を脱いで、蒸れた髪の毛にしばし風を通す。ふたたび頭に乗せ、風に飛ばされぬよう深く被り直した。