いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

お線香をあげに友人の実家へ

彼が自死したという連絡を受けたのは数ヶ月前だ。

 

平日の昼休みに、仲の良い前職の同期から突然電話があり、彼のその暗く神妙な口調から、なにか大変な出来事が起きたのだということがすぐに察っせられた。

 

電話口からは、仲の良かった同期の名前が挙がり、話は聞いたかと尋ねられた。そう言えばここ数年は交流がなかった。知らない、何かあったの?と問い返す。

 

このときに頭に巡ったこととしては、重い病気を患ったとか、女性問題を起こしてしまったとか、犯罪に巻き込まれてしまったとか、そんなことであった。

 

その彼はとにかく明るい性格のお調子者で、思い浮かぶのはふざけて舌を出した変顔ばかり。その浮かれやすい性格が災いして、なにか困った状況に陥ってしまったのかと思ったのだった。

 

しかし電話口の友人は、彼が亡くなったということを静かに告げた。にわかには理解が追いつかなかった。なんとか言葉を振り絞り質問する。病気か?事故か?

 

自死だと告げられた。正直わけがわからなかった。

 

*****

 

夏休み明けのそのような電話から数ヶ月が経った。仲の良かった面々で彼の実家を訪れる本日を迎えた。

 

行きの車の中では、久々に再会するメンバーもいて、近況などを楽しく話した。亡くなった友人ともヤンチャな思い出ばかりだったので、どうしても笑いが混じる話になってしまう。湿っぽい空気は皆無であった。

 

ゆえにご実家に到着した際には緊張した。さすがに親御さんの前ではできない話も多い。しかも実際のご仏壇と笑顔の遺影を前に、我々も涙が込み上げてきてしまったのだった。

 

ひとりひとりご焼香をあげ、それぞれに時間をかけてご仏壇に手を合わせた。ご両親から死の前後の話を聞く。鬱病と戦った末での自死だったようだ。私たちはまったくそのことを知らなかった。鬱病からは一番遠くにいると誰もが思っていた彼が。改めて、本当に怖い病気だということを再確認させられた。

 

悲しみに包まれていたが、誰からともなく、ぽつぽつと彼との思い出話をご両親に対して話しはじめる。ご両親も本当に穏やかで端々で明るくも振る舞ってくださったので、徐々に笑い声も漏れるような暖かい空気が作られていった。

 

結局2時間以上滞在させてもらったが、ご両親もとても嬉しそうに話を聞いてくださり、悲しみに浸りながらも、賑やかで楽しい時間を過ごすことができた。ユーモア溢れる彼のご両親は、やっぱり懐が深くて、笑いに理解のある温かい方々だった。

 

帰宅後、ご両親からのお礼メールの共有があった。メールの文面からも、本当に喜び、楽しんでくださったことが伝わってきて、心から安堵した。

 

本当に行ってよかった。ご両親のためにも、もちろんアイツや、自分たちのためにも。これからも折々で彼の事を思い出し、悲しい気持ちに包まれるのだろう。

 

でも、それはご両親も望まれていたことだし、残された私たちにできる数少ないことのひとつであろう。彼のことは一生忘れない。忘れようにも、あんなインパクトがあるやつ、忘れようがあるわけないのである。