いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

言葉の使いこなし

私たちが娘に投げかけていた言葉を、いつしか娘も使うようになっていた。

 

「だいじょうぶ?」

 

最近、私が痛がったり、泣きまね(娘がかまってくれないとき等)をすると、娘がそう言って、心配した面持ちで歩み寄ってくれる。

 

私が横になっているときは、しっかり目線を合わせるようにしゃがみこみ、手で身体をさすりながら「だいじょうぶ?」と言ってくれる。

 

口調も、表情も、所作も、どこをとっても演技じみたところはなく、心から心配しているように見える。つまりはただ真似をしているのではなく、しっかりと使いこなしているのだ。

 

他で言えば、食事のときの「ごっくん」も娘はいつのまにか習得していた。

 

数ヶ月前までは、好きなものをバクバクと飲み込む前に口に入れようとしていた娘。そんな娘を制すため、私たちは「ごっくんしてからね」とよく言っていたものだ。

 

しかし最近では逆で、娘が私たちに言う機会の方が多くなってきた。

 

ごはんなどをもっと食べさせたいと思ったとき、私たちはついつい好きなものに乗じて、娘の口にスプーンを急いてもっていってしまう。

 

そんなとき娘は、「ごっくん!」と私たちを諭すように言うのだ。

 

そっちはちゃんとごっくんしてからね。という娘の主張が聞こえてくるかのようだ。そして娘は飲み込んだあと、しっかりと大きく口を開けてくれるのだった。

 

また「じゅんばんばん」もそうだろう。

 

教育テレビ「いないいないばぁ」の歌にそのような曲がある。娘はその曲が大好きだったので、私たちは歌を覚えさせる中で、順番を守って譲り合うことの大切さも併せて教えていた。

 

そのため娘は、いろんな場面でこの「じゅんばんばん」を自ら口にするようになった。他の子ども達もいる公園で遊ぶときや、私と交互にジャンプする遊びをしているときなど。

 

昨日は食事後、私が筋トレをしているところに寄ってきて、自分もやると言い、隣で私の真似をしだした。

 

30秒間体勢を維持するトレーニングを何セットかしていたのだが、私が1回やり終わると、娘が同じようなポーズをとる、という流れがいつのまにか完成していた。

 

終盤、私はへろへろになって休憩時間を多くとるようになったのだが、娘は早々と自分の番をやりきり、私がなかなか次をはじめないでいると、「じゅんばんばん!」と怒り、私の尻を叩いてきた。


いっぱしの鬼トレーナーのようだった。「じゅんばんばん」にそんな使い方もあったなんて。もはや応用という意味では、娘の方が上をいっているようだ。

 

そのように、娘はいろんな言葉を習得していっている。

 

前までは口先だけ真似することが多かったのだが、今ではしっかり意味を理解して使いこなしている。それを見ていると成長したなぁと、感慨にふけってしまう。

 

今後は、さらに大人をびっくりさせるような言葉たちも使うようになっていくのだろう。私は今からそれが楽しみで仕方ない。

 

私もどんどん娘に叱られるようになるのかもしれない。でも、困ったことに、実はそれすらも楽しみにしている自分がいるのだった。