いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

臆病、それが私の武器です。

昨日、会社で先輩からこんなことを言われた。

 

「陰でそんな努力をしてるんだね」

 

いきなり癪に障ることを言うが、私は職場では“できる奴”だと思われている。仕事で関わる人達はみな信頼してくれているし、総括という立場がら、ほとんどの人達と仕事で関わっている。好き嫌いは置いといて、少なくとも一目置かれているという自負はある。そして結果として、人事評価でも連続で最高評価をもらっている。

 

そんな私はおそらく、涼しい顔してどんな仕事でもこなすことができる、資質に恵まれた人材だと思われているだろう。私は人からは天才だと思われたい、と思っているようなちょっとイタい奴なので、そのような周りからの視線には人一倍敏感で、一種の快感を味わっている。

 

ただ、そのように思われたいと思う反面、家族や仲の良い友人、そして信頼を寄せる先輩などには、本当の自分を知ってもらいたい、という我が儘な欲も抱えている。

 

実際の私は、単に臆病なだけなのだ。

 

最大限失敗をしないために、誰よりも心配し、考え得る限りの準備をしている。私がこれまでに出してきた成果たちは、すべてその結果に過ぎないのだ。

 

『失敗することを恐れるな』

 

そのような言葉はよく耳にする。たしかに失敗を恐れて挑戦しないのはよくないが、挑戦するのであれば失敗を恐れて取り組むべきだ、と私は思う。

 

そのために必死で考え、これ以上ないほどに準備する。そこまでやった状態で失敗したときに初めて、次に繋がる大切な気付きが得られるのではないだろうか。

 

あの大天才イチローが誰よりも努力しているところを見ると、世にいる「すごい」と言われる人達は、誰しもがそれ相当の努力をしているのではないかと、私は思う。

 

冒頭のセリフは、普段から私をサポートしてくれている、仲の良い先輩からかけられたものだ。私も心から尊敬しており、向こうも私に信頼を寄せてくれている。

 

私たちは、来週頭に大きな説明会の開催を控えている。そこで私は、約1200人に向けて重要な説明を行う。1年かけて準備してきたビックプロジェクトだ。昨日はその説明練習を、会社に残りひとりで行った。そして練習した結果やはり説明には30分はかかってしまいそうだと、その先輩に共有がてら話したときのことだった。

 

先輩は、私が説明に向けて練習をしたということに、軽い驚きを感じたようだった。普段から私のプレゼンテーションを絶賛してくれていた先輩なので、今回も即興でなんなく対応するものだと思っていたのだろう。

 

私はよい機会だと思い、先輩にも本当の私を知ってもらいたくなった。実は普段も大事なプレゼンや説明の際には、ひとり納得いくまで練習しているんですよ、と種を明かした。誰よりもただ、臆病なだけなんです、と。

 

それを聞くと、先輩は小さな感動に包まれたような表情を浮かべた。そして「てっきり、天才なのかと思ってたよ」と、微笑みながらに言ってくれた。

 

その言い方には好意が感じられ、私が明かした種に対する嘲笑の意は、一切込められていなかった。

 

私は「天才ってことにしてたほうが、よかったですかね」と、少しおどけた態度をとってみせたが、内心では、先輩の反応に嬉しい気持ちがこみ上げていた。

 

信頼を寄せる先輩に本当の自分を知ってもらえた、そのことに、震えるほどの喜びを感じていたのだ。

 

来週に向け、残りの時間も私は考え得るだけの準備をするつもりだ。そしておそらく私は、その説明会も涼しい顔で首尾よくこなしてみせるだろう。

 

それを見た周りの人達は「さすがだね」と、いつもの称賛の声をくれるはずだ。ただその中で、あの先輩だけは、違った種類の拍手を送ってくれるだろう。それをもらいたいが為に、今日も私は、誰よりも臆病になる。