いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

憂鬱な朝に

昨日は東京出張だった。

 

業務改革のヒントをもらうため、関連2社と打合せをしてきた。東京は暑く、人の多さに辟易とさせられたが、目的も果たし、いくつかの収穫を手に大阪へと戻った。

 

ただ移動疲れもあり、新大阪駅に着く頃には憂鬱な気持ちになっていた。夜の8時も過ぎているが、なかなか食欲も沸いてこない。大好きな本屋さんにも立ち寄ったが、それでもいまいちテンションは上がらなかった。

 

私はしょうがないので、何かおいしい物でも食べようと思った。いつものウォーキングコースにある回転寿司に行こう、そう決めた。ひとりで店に入ると、すぐにカウンターへと通された。ひとり寿司は初めてだった。

 

私はいくつかの寿司を注文した。ただ一口食べて私は悟ることになる。自分を元気にしてくれるのはこれでもなかった、と。腹を満たすために何貫か手に取り口に入れたが、特においしいとは感じなかった。ひとりで食べる回転寿司は、いつもとは違って本当に味気なかった。

 

私は家に着くとシャワーを浴びた。そのあとで本も読んだのだが、変わらず気分は沈んだままだった。その後、お笑いの動画を流してみたが、いっこうに気分は晴れなかった。そして寝て、覚めてもその状態は変わらない。

 

最終手段と思い、私は妻が送ってきた娘の動画を見始めた。他の子供と一緒になって踊る娘の動画だ。その楽しそうな様子を眺めていると、少しずつ、分厚い雲の隙間から光が差しこんでくるように感じた。

 

こういうことがあると、普段いかに自分が家族に支えられているかに気づかされる。娘だけではない。妻にだって、ただ「疲れた」と聞いてもらうだけで、どれだけ救われていたことか。

 

私は基本的にポジティブな奴だと思っていたのだが、それは自分の力ではなかったようだ。ひとりになればどうしようもない。こんなにもネガティブ野郎なのだ。

 

ひとり暮らしをする度に、ちっぽけな自分を発見する。それと同時に、家族の偉大さ、ありがたさも。

 

家を出る頃には、少しだけ前を向いていた。