いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

公園での出会い

公園は、子供にとっての出会いの場だ。

 

特に娘のように社交性に富んだ(この表現には親の贔屓目が多分に入っている)子にとってはそうであろう。

 

ここのところ連日、公園遊びをしていた。特に昨日と今日は訪れた場所も時間も同じだった。それなのに、そこでの出会いが大きく異なったのがとても印象的だった。

 

昨日は砂場でとある女の子に出会った。気さくなパパと一緒で、聞くと娘のひとつ歳上なのだそうだ。しばらくふたりで遊んでいたのだが、年齢も違うのでふたりのやりとりにはどこかぎこちなさを感じていた。

 

すると途中、その子のお友達が公園に遊びに来た。女の子は娘を捨て、お友達の女の子と遊び始めてしまった。仕方のないことだ。しかし娘は状況を理解できない。相手にされなくなった後も懸命に彼女らを追いかけ、ふたりに混ぜてもらおうと必死で話しかけていた。

 

その歳上のお姉さんたちを悪く言うつもりはない。しかし、急に仲間はずれにされた娘の可哀想な姿を見て、私は心が痛んでしまった。(ちなみに娘は平気そうだ)

 

そんなことがあった翌日の今日。また同じ目にあったらどうしようかと内心怖かったが、私たちは再び公園を訪れた。しばらくひとりで遊んでいたが、すべり台を譲ったことをきっかけに、ある女の子と会話を交わした。

 

それから親同士(相手側はパパとママ、乳幼児の妹を連れていた)のサポートもあり、ふたりは名前を教えあい、一緒になって仲良く遊び始めた。

 

聞くと同い年で誕生日も近かった。背丈も一緒で雰囲気もどことなく似ていた。急にアナ雪の歌を歌いだすところやパパへの口調もそっくり。なんでも自分でやりたがるところなどは、似すぎていて思わず笑ってしまった。

 

娘はボールや砂場セット、ストライダなどをその子に貸してあげ、一緒に楽しそうに遊んでいた。親御さんたちとも和やかな会話を交わし、暖かな交流を愉しんだ。

 

結局、小一時間ほど遊んだが、さすがに昼食の時間を過ぎてしまったので、バイバイとなった。手を振り別れたあと、娘はしばし気を落とし、とても悲しがっていた。

 

残念ながら、来春から同じ幼稚園に通う、という奇跡まではなかったのだが(聞けば隣町から遊びに来たらしい)、いい出会いだったのでまたどこかで再会できたらと思う。こんな一期一会があるから、公園が好きだ。