いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

スナップショット

娘の動画には日々癒やされている。

 

妻と娘が里帰り中の今、ふとした瞬間に動画を見返すことが増えた。動画の中の彼女はいつだってご機嫌で、見ているこっちまで嬉しい気持ちにさせられる。

 

考えてみればそうだ。動画はいわば日常のダイジェスト版である。妻が可愛いと思ったときに撮り、良いと思ったからこそ私に送ってくれているのだから。

 

つまりは実態の娘よりも可愛く見えて当然なのだ。動画で切り取られていない裏では、ワガママを言ったり、可愛げの無い行動もとっているのだろうが、良い面だけを切り取った動画では、いつでも娘はお利口にしている。

 

そのような原理はわかっていつつも、やはり目に見える娘が全てであるように捉え、愛おしさを爆発させてしまう。そのときを切り取るスナップショットのマジックだなあと、改めて思い知らされるのであった。

 

それでも、動画に癒やされていることには変わりない。たとえそれが娘の一場面に過ぎないにしても、彼女であることには間違いないのだ。娘の名場面の繋ぎ合わせを見返しながら、日々の活力をもらっている。

 

少し大きくなったかな、またお喋りが上手になったな、そんな小さな成長を見つけながら、遠距離生活を続けている。鍵を握る動画は、有難いことにたまる一方だ。