いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

成長痛

情けない話だが、昨夜も妻に慰めてもらった。

 

子供たちが寝静まった後、ソファの上で身を寄せ、よしよしと、たくさん励ましてもらった。

 

仕事がつらい、という泣き言をポツポツと話しはじめると、つらつらと弱音が続いていった。妻は聞き上手なので、暖かく包み込んでくれながら、どんどんと私の話を引き出してくれた。

 

週末開催した旧友とのZOOM飲みの時も実感したが、私は妻と友達のように話すことができる。もちろん夫婦としてもそうなのだが、彼女ひとりでその両面をカバーできるため、私が友達を疎かにしがちなのは、もしかしたら彼女のせいなのかもしれない。(なんちゃって)

 

結局、一時間ほど話を聞いてもらい、慰めてもらった。気持ちがぽかぽかとして、子供達が眠るベッドに横になると、すぐに眠りにつけた。

 

また妻との話の中で、ある収穫もあった。今味わっている挫折のお陰で、私が人間として成長できていることがわかったのだ。具体的には、妻と出会った時にはできなかった気遣いや配慮、相手の気持ちを慮ったものの言い方の必要性を、身にしみて理解することができたのである。

 

妻は私が吐露する内容でそのことを強く実感できたらしく、えらく感動していた。きっと今味わってる苦しみは成長痛で、人間として大きくなる上で必要な痛みなのだと私を諭してくれた。

 

妻にそのように前向きに言われると、本当にそうなのかもしれないと思えてくる。成長痛だと思えば悪くない。筋トレ後の筋肉痛のように、よしよし、とほくそ笑むことさえできるかも。

 

本当にそうであればいいな。ひとまわり大きくなれた暁には、妻を包み込んであげなければ。