いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

あの日から

あの日から十年が経った。

 

ここ数日、メディアでも多く取り上げられているため、いやがおうにも思い出す。今見ても当時の映像はおぞましく、特番を見はじめると、画面から目が離せなくなってしまう。

 

節目の時にだけ思い出すなんて身勝手なものだ。被災者の方々は、インタビューで一日たりとも忘れたことがないと言う。それはそうだろう。体験すれば一生忘れられないと思われる。

 

私が十年前に体験したことなんて大したことがない。現にこの節目になるまで忘れていたのだから。それでもキッカケさえあれば思い出す。

 

私はその瞬間、東京の豊洲にいて、採用試験を受けていた。結局その日は帰れなくなり、採用を受けた会社のビルで一夜を過ごした。

 

ビル周辺のコンビニを歩き回り、なんとか手に入った僅かな食べ物で夜を凌いだ。翌朝は、駅で長蛇の列に並び、数時間後に電車に乗り込んだ。しかし、満員電車で吐き気を催した私は、途中下車をせざるを得なかった。

 

そこからは十駅以上を歩き、半日以上をかけて借家まで帰りついた。道中の飲食店はほとんどが閉まっており、コンビニでも食料は手に入らなかった。自動販売機で飲み物だけを買い、それで腹を膨らませながらに歩き続けた。

 

借家に帰ると、部屋の壁にはヒビが入っていた。いくつかの物が地面に散らばっていた。それでもそんなことはお構いなしで、私はそのままベッドに倒れ込んだ。それらの場面が途切れ途切れの記憶として、今でも鮮明に頭に浮かぶ。

 

この程度の体験でこれだけ記憶に残るのだ。テレビで流れる映像の渦中にいた方々は、どれほど心に刻まれているだろうか。きっと私が今想像してみた以上に、刻まれているに違いない。

 

この日にこのような文章を書くのは何度目だろうか。何度でもいい。節目にくらい思い出さなくては。きっと忘れてはいけないことなのだ。