いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ゆれる心模様

こころ模様というものは日々揺れ動くものだ。

 

とくに最近では一際その流動性の高さを感じている。いまの私の心模様はまさに液体のようである。風に吹かれてはさざ波が立ち、色水を垂らせばいっきにその色に染まってしまう。

 

確固たるものとして存在するのは、家族という存在だけだ。愛する妻と子供たち。彼女らと一緒に過ごす時間が人生最良の幸せであり、何不自由なく生活を送らせることが自身最大の使命だと心得ている。

 

ただその確固たる一点も、見方次第では心に揺らぎを与える要因ともなり得る。誇らしい家族がいることで、その一員として自分もより高みを目指すべきではないのか、そんな自問自答が生じている。

 

一方で、余計な研鑽には手を出さずに、ただただ家族との時間を最大限確保できる選択をすべきだ、と思う自分もいるのだった。おそらくは、それら双方をバランス良く保つことが一番なのではあろうが、そのバランス感覚も含めて、そのときどきで、心模様や考えに揺らぎが生じている状況なのであった。

 

家族がいる以上、自分の人生はもはやひとりのものではない。もちろんそれは重荷などでは無く、これ以上無いほどの活力になってくれている。しかしながら、ひとりのときと比べ選択に大きな責任が伴うということは、まぎれもない事実なのである。

 

波打つ心模様のうちは自分のことも迂闊には信じられない。昼寝ひとつで『めんどくさがりな自分』から『前向きな自分』へと様変わりするからだ。

 

本当の自分はどっちだ。おそらくは両方だ。それならば私が行くべき方向は?それに伴うリスクとリターンは?何年もしてこなかったツケなのか、ここにきて頭を悩ませている。しかし悪いことではない。こうなればとことん悩みぬき、納得できる結論を。