いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

もう一方の苦しみ

クラスが変わり、娘の交友関係にも変化が生じた。

 

前のクラスではお気に入りの子の両脇を少しいじわるなふたりの子が固めており、なかなか思うように遊べないというジレンマがあった。

 

というか、そのふたりに面白がられ、イジワルで遊びにいれてもらえないという場面も多々あったようだ。ただ娘は切り替えも早いため、そういうときには別のお友達と遊ぶことができたので、そこまで辛い思いはせずにすんでいた。

 

しかし新しいクラスでは、お気に入りの子とはまた一緒になり、障壁であった両脇のふたりが別のクラスになったため、娘にとっては夢のような環境になった。これまで思うように遊べなかった反動もあり、毎日べったりとその子と過ごしているようだ。

 

ただ一方で、園内ではなかなか顔の広い娘は、今のクラスにおいては他にも一緒に遊びたがる友達が多いらしい。休み時間になれば、娘と一緒に遊ぼうと、何人もの友達がお誘いに来てくれるようなのだ。

 

しかし娘は、先に述べたお気に入りのお友達と遊びたいがために、自分を慕ってくれている他のお友達を無下にすることがあるらしい。そう、まるで昨年まで娘が両脇のふたりからやられていたみたいに。

 

その話を本人や担任の先生から聞き、私と妻は心苦しくなった。昨年までは被害者の親の立場で心を痛めていたが、今は加害者側である。自分がやりたいことをしっかり主張ができるようになったことは嬉しく思う反面、やはりお友達に対して冷たい振る舞いをすることには、悲しい気持ちを抱いてしまう。

 

昨年を経て娘はたくましくなり過ぎたのかもしれない。自分も冷遇されてきたが、それでもへこたれず乗り切ってきたことで、自分と同様のタフさが別のお友達にも備わっていると思っているのかもしれない。

 

とはいえ、親としてはやはり心苦しい。被害者側も当然嫌であったが、加害者側も同様に苦しいのだと痛感させられた。もちろん、加害といっても暴力やイジメをしているわけではないのだけれど。

 

このままだといつか友達を無くしてしまうかもしれない。いや、早いうちにそれくらいのしっぺ返しを喰らった方がいいのかも、とさえ思ってしまう。友達の大事さは、歳をとるほど痛感するものなのだから。

 

ただ、親にできることといったら、お友達と仲良くしてね、優しくねと、言葉を尽くして伝えていくことくらいしかない。少し調子に乗りつつある娘を、今後も辛抱強く見守り、できるかぎりで是正していけたら。