いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

箕面公園の清涼

車で箕面公園を訪れた。

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箕面大滝を拝んだ後は、山道に沿って川を目指した。厚みある木々が覆いかぶさり、灼熱の太陽から我々を守ってはくれているのだが、それでも梢から降り注ぐわずかなる一糸が確実に体力を奪っていく。背中はとうにびっしょりと濡れていた。

 

直感を信じて進むもなかなか水辺に降りることは叶わなかった。川は永らく眼前に広がっているのに、そこに降りるべき歩道が現れてくれない。当然ながら不安は募っていく。なぜなら帰り道も同じ距離を歩かなければならないからだ。引き返す?妻が問う。いや進もう。私は根拠もなしに前進する決断を下した。

 

しばらく傾斜道を進むと、トイレと休憩所が現れた。女性陣がお手洗いに向かう。私は息子と屋根付きのベンチに腰掛けた。娘たちが戻ったので再び進もうと腰を上げる。すると、後ろのベンチに座っていた高齢の男性が、親切な心遣いをしてくださった。

 

お礼を言いつつ、ついでに尋ねてみることにした。水辺に降りられるところまではあとどれくらいかかるのかと。すると、その方は道案内をするように立ち上がり、我々を隠れた小道まで先導してくれた。

 

教わった小道を辿っていくと10分も経たずに水辺に降りられた。しかも先にいたのは一組だけ。まさに知る人ぞ知る穴場、と言ってもよいほどの素敵スポットだった。

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さっそく皆でサンダルに履き替え、足だけ水に浸かった。冷たさが足から這い上がってくる。しばし子供たちと遊んだ。娘はタニシ集めに夢中になり、息子は石を拾い水面に投げることを繰り返していた。

 

小休憩の後、川の中を歩いて川上へと皆で向かった。すると少し進んだところに水溜まりがあり、そのそばにはちょうど良い足場もあった。小魚も泳いでおり、若者の小集団にとっては最適なプライベートプールになるなと思えた。

 

妻と娘は少し滞在すると元の拠点に戻って行った。しかし息子はこの場所をえらく気に入ったらしく、まだ残りたがっていた。私もまだ居たかったので、ふたりでこの場に留まることにした。

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息子は投げる石によって着水の音や波紋の大きさが異なることを不思議がっており、研究者の顔つきで何度も石を手に取り、実証実験に勤しんでいた。

 

そんな息子の隣で、私は砂利の上に腰を下ろし、せせらぎが響く川を見つめていた。水飛沫と共に辺り一体に巻き上がるマイナスイオンを全身で感じていた。

 

水面は波紋が幾重にも干渉し合い、そこに木漏れ日が差すことで、清涼感のある幾何学模様を描いていた。あまりに整合が取れた美しい模様で、まるでそれを模して描いたグラフィックアートのように見えた。

 

頭上の木々たちからは、定期的に葉がヒラヒラと舞い降りてきた。それは音も立てずに着水し、水面に浮かびプカプカ流れていく。葉っぱたちも目を瞑り、涼しげな水流に身を任せているかのようであった。ただ息子の投石で立った波紋に接するときだけ、ピクピクと小刻みに揺れていた。なぜだかそれが愉快に思えた。

 

川から車へと戻る帰路は行きよりもだいぶ短く感じられた。心は瑞々しく潤い、晴れやかな気持ちが渦巻いていた。リフレッシュ完了。土曜の午前中だけで、一週間の疲れはどこかへ消え去っていた。またいつか。