いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

日常をお迎えに

朝までゆっくり過ごし昼から家中に掃除機をかけた。

 

洗濯機を回し、洗濯物を片付けた後、水回りを念入りに掃除した。最後に段ボールとゴミを出しに行き、準備が整う。見送ったときよりも迎えるさいを綺麗に。なんせ今日、家族が我が家に帰ってくるのである。

 

思えばこのひとり暮らしの三泊四日は、期待通りに充実したひとときを過ごせた。近所の飲食店の新規開拓は7軒を達成し(朝食を除くすべての食事を充当した)、本は3冊を読み切り、映画は計4本を観賞した。毎日欠かさず身体を動かし、思いつくままに文章を書き綴った上で、健全な生活習慣を保った。

 

とはいえ、ひとりの時間はこれくらいが丁度良い。さすがにあと一日追加であるとなっても、やることに迷っていたか、これまでの焼き回しの時間を過ごしていただろう。普段からちょっとした瞬間に、子ども達を何処かに預けてあそこに行けたら、これがやれたら、と思うことはあるのだが、思い返してみれば、妻と一緒に行きたいやりたいことがその中心であったのだ。

 

私ひとりでやりたいことといえば、作品に触れることくらいだ。小説、漫画、映画…。それくらいであれば、家族と過ごす生活の端々においてでも、不可能というわけではないのである。もちろん、それを自分のペースで思う存分に愉しめたここ数日間は、至福の時間ではあったことに違いはないのだけれど。

 

時刻を確認する。あと少しで、家を出て新大阪まで家族を迎えに行く時間である。

 

あとは今夜の夕飯か。食べて帰ってくるには時間が中途半端だし、かといって弁当を買って帰るのもちと味気ない。私としてはここ数日ずっと外食だったので、正直そろそろ食卓の味を楽しみたい気持ちなのだ。

 

そんなわけで、今日は鍋でも作ることにしよう。妻の同意も得た上で、私が買い物に行き作ることにしよう。食材を事前に買うことができればよかったのだが、如何せんもはやその時間はないようだ。まずは迎えに行き、その後で夕食の買い出しに赴こうと思う。

 

ひとり暮らしや三連休が終わる寂しさよりも、家族との再会や日常が始まる嬉しさの方が勝っていることにひとり喜びを噛みしめつつ、颯爽と上着を羽織った。