息子は私が痛がると心配を口にしてくれる。
「だいびょうぶ?」
神妙な口ぶりで、瞳はまん丸、幼児特有の潤みを帯びているのだが、問題なのは私が受けた痛みの与え手は、その息子自身なのである。
つまりは自分で私の顔面に(意図せずとはいえ)オモチャをぶつけたにも関わらず、その謝罪をすっ飛ばして、心配を口にしているのだった。
「まずは、ごめんでしょ」。そう彼に指摘する機会は、一日においても少なくはない。まあ、せめて心配してくれるだけでも、よしとしなければならないのだろうが。
ただまたここで問題なのは、さして心配もしていないということである。「だいびょうぶ?」と口にしたところで、あたまはオモチャとお菓子のことでいっぱいなのである。
「あぽぼ!」
先程までの神妙な口ぶりはどこへやら。すぐに私の手を引いて、一緒に遊ぼうと駄々をこねるのであった。