いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

懐かしのビーダマン

じいじの家で息子が退屈をし始めた。

 

そのため、彼を近所のショッピングモールのオモチャ屋さんへと連れていった。いろいろと興味を示していたが、その中でもある体験版のオモチャで楽しそうに遊んでいた。ボトルマンだ。

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ペットボトルのキャップを飛ばして、ボトルなどに当てて遊ぶオモチャだ。私は懐かしい感情に駆られた。私が子供時代に最も熱中したオモチャであるビーダマンの系譜を汲んだオモチャだからだ。

 

しかも、私たち親世代をターゲットにしているのだろう。まさにそのビーダマンと同じモデルが採用された個体もあるのである。これは買わざるを得ない。息子が楽しそうに遊んでいることをいいことに、一緒に遊ぶため2体を選んで購入した。

 

ひとつめは上の画像の個体である、ファイティング・フェニックスをリバイバルしたもの。もうひとつは下の画像のワイルド・ワイバーンを模したモデル。

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前者はパワーショットタイプで、後者はスピード連射タイプだ。もうひとつ、ビーダマン時代に一番印象に残っているタイプであった、ケーニッヒ・ケルベロスのものもギリギリまで迷っていたが、それは散弾タイプで発射にパワーを要するので、子供たちを考慮してやめておいた。

 

家に帰るとさっそく組み立て始めたが、ビーダマンと比べると工具なしで組み立てられる親切設計に変わっていた。そんなわけでさくさく組み立て、すぐに息子と遊び始めた。

 

彼の力ではパワータイプの方は発射が難しかったが、スピード連射タイプの方はすぐに要領を掴み、的にするボトルにうまくヒットさせ倒すことができた。

 

さらにはそのタイミングで、親戚の子供たちの訪問もあり、二体のボトルマンは奪い合いになるほどの人気を博した。特に男の子は夢中になっており、三番のペットボトルをどちらが早く倒せるかの競技を飽きずに何度も繰り返していた。

 

私も彼らと共に懐かしさを味わいながらボトルマンで遊んでいた。風貌も懐かしいのだが、ショット時の感覚も、ビー玉とボトルキャップの差はあれど、少年期を彷彿とさせられるには充分であった。

 

ちなみに、ビーダマンには私がコンサルタントになる上での原風景とも言える思い出がある。小学生のとき、友達ふたりが私の家を唐突に訪ねてきたことがあった。

 

理由を聞くと、ビーダマンを初めて買ったので色々と教えて欲しいと、わざわざ訪ねてきてくれたのだった。このときに感じた喜び、なんとか期待に応えたいと湧き立った感情が、今のコンサルタントに繋がっていると私は感じている。

 

自分が好きで得意と思っている領域で誰かに頼られ、その期待に応えるために自分の知識やスキルをフルに活用して応える。このとき感じた喜びこそが、私が働く上での原風景となっているのだ。

 

そんな原点とも言える思い出や感情も、ボトルマンにより甦ってきた。子供らも楽しそうに遊んでくれて嬉しい。もしハマってくれるならもう一体買うのだが。