いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

夫婦事業計画

人の性格や価値観はそれぞれにおいて違う。それは夫婦においても同様だ。

 

昨日は妻と久しぶりに長い話し合いをした。些細な認識の違いをきっかけに、互いの性格や価値観、家族において何を最重点事項とするか、というところまで話は発展していった。

 

妻の話を聞いていくと、彼女の主張は実にごもっともだったので、最終的には彼女の意向に私が寄り添う形で結論が下った。(私たちの話し合いにおいては、得てしてそのような結論に至ることが多い)

 

私はその話し合いを通して、妻と私の性格に大きな違いがあるということを改めて実感した。端的に言えば、私は楽観的でおおざっぱ、妻は(私から言わせればということだが)心配性で几帳面なのだ。

 

ここで誤解がないようしっかりと明記しておきたいのは、そんな私たち夫婦は普段においてはとても仲が良いということだ。結婚してもうそろそろ4年になるが、互いに昔と変わらぬ好意を持ち続けており、信頼し尊重し合う、とてもよい関係が築けている。(そして、これについては妻も同様の認識をもってくれているはずだ)

 

しかしそんな二人においても、今回のように性格の違いや、それに起因する価値観の違いが表面化することがある。夫婦においてもやはり、人と人であることには変わらないのだ。そして当たり前のことだが、人が性格を変えるということはとても難しい。

 

ふと、会社での仕事のことを振り返ってみた。そこでも当然、人の考え方は千差万別だ。今私は400人ほどの組織を統括するような立場で働いているのだが、各メンバの意見をひとつにまとめ上げるのには本当に骨が折れる。

 

全員で足並みを揃えひとつの物事を進めようとするときには、ひとつひとつ丁寧に、各メンバにおける考え方の違いを視える化していき、その違いを踏まえた上で十分に議論を重ね、全員が納得できる形で方針を立て、メンバを引っ張っていくことが求められる。

 

ふと、それは夫婦においても同じなのかもしれないと思った。

 

私たちはこれまで、お互いの考え方に違いがあることを理解しつつも、何かをやり始めるに際し、先んじて互いの意見の摺り合わせを行うということをしてこなかったような気がする。

 

だからこそ、途中で認識の違いが浮き彫りになり、あわてて話し合いへと発展する、といった今回のようなことが、しばしば起こってしまうのではないだろうか。

 

会社ではダイバーシティ(多様性受容)が謳われているくらいなので、考え方の違った人達が集まっていることが前提となっている。そのため、当然皆がひとつの目標に向かって仕事ができるようにと、年単位での「事業計画」というものが策定されている。

 

夫婦でもそれと同じように「夫婦事業計画」を作ってみるのも良いかもしれない。夫婦といえども、考え方が完全には一致していない、人と人による共同運営であることには変わりはないのだから。

 

平日はおそらく時間がとれないので、今週末にでも妻と腰を据えて話をしてみよう。きっとこれによって、いろんな場面における行動の指針、共通認識が定まるのではないだろうか。そしてそれによって、少しでも妻の心配事が減らせればよいのだけれど。

 

これ以上無いと思っていた夫婦関係においても、考えてみればもっとやれることはあるのかもしれない。そんなことを感じた昨日のできごとだった。これからも良い関係を継続できるよう、しっかりと話し合っていきたいと思う。

 

そして夫婦がいつまでも仲が良いということは、娘にとってもプラスになることは間違いないだろう。

 

私たち家族はまだまだ良い関係になれる。そう思うと、私はなんだかわくわくしてきた。

 

相変わらず楽観的だね、と妻に呆れられるかもしれないけれど。