いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

とある公園の片隅で

「あなた達みたいな家族を見るとほんと嬉しくなるわ」

 

昨日公園で娘と遊んでいるときに、通りすがりのおばあさんに言われた言葉だ。

 

昨日の夕方、仕事から帰った私は、娘を公園に連れて行くことにした。一昨日は雨で外に出られなかったし、昨日の日中も妻が体調を崩しずっと家の中で過ごしていたため、娘の元気が有り余っているだろうと思ったからだ。

 

外に行こうと言うと、娘は目を輝かせながら嬉々として靴下と靴を履いた。私も急いでスーツから服に着替え、娘と二人自転車に乗って近所の公園まで遊びに行った。

 

公園につくと、娘は遊具、砂場、運動場と、次から次へと遊び渡り、嬉しそうに走り回っていた。やっぱり娘を外で思いっきり遊ばせるというのは、娘にしてみても、それを見ている親にしてみても、精神衛生上好ましく思う。

 

夏が近づき、最近では日が落ちるのがどんどん遅くなってきている。天気が良くて仕事から定時で帰ってこられた日には、こんな風に外に娘を連れてきてあげるのもいいなと思った。

 

30分ほど遊んだ頃、だいぶ辺りも暗くなってきた。しかし娘はまだ満足できていないようだったので、私たちはもう少しだけ公園で遊ぶことにした。

 

娘は公園の隅っこにシロツメクサが咲いているのを見つけ、そこらへんを歩き回り、それを見つけるたびに声を上げ喜んでいた。私はそんな娘について回りながら、時に地面に座り込み、娘と一緒に草花を観察していた。

 

そんなとき、向こうから買い物帰りらしきおばあさんが歩いてきた。そして私たちを見つけると嬉しそうに微笑みながら、娘に向かって挨拶をしてくれた。

 

その後もおばあさんは「かわいいね何歳?」「そのお花きれいだね」「パパと遊んでもらえてよかったね」など、娘に対して優しい言葉をかけてくれた。娘も最初は戸惑っていたものの、自分に向けられた優しい雰囲気を感じ取ったのか、笑顔でそのおばあさんを見つめ返していた。

 

私もおばあさんに挨拶をし、娘に話しかけてくれたことに感謝を告げた。そして娘を抱きかかえながら、少しだけ会話をしていると、冒頭に書いた台詞を私たちに向け言ってくれたのだ。

 

「だから、ついつい話しかけちゃったの」

 

なんでもそのおばあさんは、大阪市内における家庭内暴力や幼児虐待の問題を抱える家庭を訪問する仕事をされているらしい。そのため普段からとてもツラい家族ばかりを多く目にしているとのことだった。

 

それを聞いて、私はとても大変な仕事だろうなと思った。ツラい現実を直視することで、思わず世の中を嘆いてしまうこともあるのだろうと想像した。

 

もしかしたら、今日もそんな気持ちになっていたのかもしれない。そんなとき公園で遊ぶ私たちを見かけたのではないか。私はおばあさんの言葉の端々から、そんなことを感じ取った。

 

その後もしばらく話をしていたのだが、娘は退屈したのか、私の腕から降りて再び公園の方へと駆けだしてしまった。そのため、そのおばあさんとはそこでさよならをすることとなった。

 

私はその出来事を通じて、世の中にはいろんな家族がいて、それを支えているたくさんの人がいるのだなと、改めて実感することができた。

 

そして、私たち家族はいつまでも幸せに、目にした人達をも暖かい気持ちにさせるような、そんな家族であり続けたいなと心から思った。

 

公園からの帰り道、満足げな娘をチャイルドシートに乗せ、ライトをつけて自転車を走らせた。

 

娘は外に出かけるときは一目散だったくせに、今ではママに会いたくて仕方がないようだ。

 

ママに渡すのだろうシロツメクサを二輪、その小さな手にしっかりと握りしめていた。