いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

狡猾な娘

この子は社会の荒波をすいすい渡っていけるのではないか。昨夜そんなことを、娘に対して思った。

 

昨日、仕事から帰ってきて夕食を済ませると、いつものように娘が私の手を引いて和室へと連れて行った。

 

笑顔を浮かべながら顔の横で両手を構え、怪獣のようなポーズをとる。いつもの「遊んで」のサインだった。

 

このポーズについては、説明しなければなるまい。しかし申し訳ないが、そのことをロジカルには説明できそうにない。

 

なぜだか私と娘の遊びは、怪獣ポーズをとりながら二人で行進するところからはじまる。

 

そしてそこから、いつのまにか室内追いかけっこへと発展していくのがいつもの流れだった。

 

昨日も、二人で怪獣行進をしている途中、出し抜けに娘が私から逃げはじめた。

 

カーテンの後ろに隠れたり、和室に畳んでいた掛け布団を引っ張り出し、それに潜ったり。

 

パターンは少ないものの、娘はそれらを何度も何度も繰り返し、はしゃぎながら私から逃げ回っていた。

 

私は娘をゆっくりと追いかけ(相変わらず怪獣ポーズだ)、彼女に逃げる余裕を与える。

 

カーテンや布団に隠れた際には、しばらく探すフリをしておきながら、いきなりばっと開き「見つけたぞ~」と叫ぶ。

 

娘は嬉しそうに「ぎゃ~」と声をあげながらも、身をくぐらせ反対側から逃亡を続ける。

 

そんなことを十数分間続けていた。

 

そろそろ一度休憩して娘にお茶でも飲ませようと思った私は、彼女の捕獲へと乗り出した。

 

私は怪獣ポーズのまま、じりじりと娘を和室の角へと追い込み、逃げ場を失わせていった。

 

追い込まれると娘は「ぎゃ~!」と嬉しそうに叫び声をあげながら、わたわたと身体を揺らし、左右に逃げられるスペースはないかと探す。

 

しかし、そこには逃げられる隙間は残っていない。娘は完全に袋小路に追い込まれていた。まさに絶体絶命だ。

 

遂に観念するかな、私はそう思っていた。しかし、完全に追い込まれた娘は、そこでまさかの行動に出る。

 

今までさんざん逃げ回ってきた相手に対し、それがさもなかったかのように手を広げ、ずけずけと抱っこをせがんできたのである。

 

「ぱぱ、探していたよ、早く抱っこして」とでも言わんばかりのピュアな顔を向け、私に対して甘えた声を出してくるのだ。

 

虚を突かれた私は、思わず素直に抱きしめてしまった。それにより敵対していた関係がリセットされ、いつのまにか追いかけっこの勝敗が有耶無耶にされる。

 

抱っこされた娘は「あっち」というように指で指示を出し、私はすっかり娘の移動用ロボットのようにコキ使われはじめていた。

 

見事な手のひら返し。悪びれもなく敵を手下へと手なづけてしまった。あまりの切り替えの早さに、私には糾弾する余裕すら与えられない。

 

なんてずる賢いやつだ。私は彼女のロボットになりながら、そんなことを思った。

 

これだけの狡猾さがあれば、複雑な人間関係が交差する現代社会の中でも、たくましくやっていけるのではないだろうか。そう思った。

 

我が娘ながらに末恐ろしい女である。

 

でも、親としてはその狡猾さが、少しだけ頼もしくも思えた。