いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

家族と歩む平凡な人生

昨日は会社の上司たちと飲みに行った。先日も担当上司と飲んだが、今回はその更に上のランク、組織長に誘われて飲みに行ったのだ。

 

結論から言うと、あまり楽しくはなかった。いわゆる典型的な“上司と行く飲み会”だったのだ。

 

前回の担当上司との飲み会は、冗談をとばしあう和気あいあいとした雰囲気でとても楽しかった。しかし今回は、組織長が過去の自慢話をし、それに皆が「すごいですね」と言うだけの、なんとも湿っぽい会になったのだ。

 

やはり会社の飲み会は、そこにいる上の人のスタンスにより、楽しさと充実感がまったく違うな、ということを昨日は改めて実感した。

 

その組織長もけっして悪い人ではない。強烈な経歴と個性的な考え方をしており、見方によってはとても興味深い人だ。

 

しかし、言ってしまえばユーモアが足りず、プライドが高い。そういう上司を相手にする飲み会は、どうしても前述のとおり部下はつまらない“おべっか対応”をせざるを得なくなる。

 

またその組織長は、いわゆる“昔はヤンチャしてました”という自慢をする方で、「人生はいろんな経験をした方がいいぞ」というアドバイスばかりを繰り返していた。

 

その主張には同意できる部分もあるのだが、そこででてくる自分の経験談というのが「昔ギャンブルに熱を入れ過ぎて危険なところまでいった」だの、「家族を蔑ろにして金を稼ぐことを極めた」だの、詳細を書くのを憚られるようなことも多く、正直辟易としてしまった。

 

確かにそういう生き方もあるし、本人としては刺激的なのだろうとは思う。しかしそういう話を聞くと、私はそんな自分本位な人生より、家族と寄り添い、つつましくとも幸せな人生を歩みたいなと思ってしまう。

 

こう言うと、また「最近の若者は野心がない」とか「ゆとり教育の弊害」だの、世間では言われてしまうのだろうか。

 

幅広いことに手を出し、自身の感性に従い様々な経験をする。それも確かに刺激的で、自分自身を高める上では役に立つ部分もあるだろう。

 

でもきっと「家族と人生を歩み、幸せな家庭を守っていく」というのも、同じくらい刺激的で、一筋縄ではいかず、自分自身の成長に繋がるのではないかと思う。

 

きっと家庭を守っていく上でも、困難にぶち当たったり、新たな挑戦を強いられたりする場面も多々あるだろう。

 

それらを家族と一緒にひとつひとつ乗り越えていく。そういう経験は、家族と真剣に向き合わない人には決してすることのできない貴重な経験ではないだろうか。

 

それはどんなにお金を積んだとしても決して機会を得ることができない、そして人生の中でも限られた期間にしかできない貴重な経験だろう。

 

昨日の飲み会を通して、私はそんなことを考えていた。

 

幸いなことに、その組織長も仕事に対する姿勢には尊敬できるところを見つけられたので、今後はビジネスに閉じた付き合い方をしていこうと思っている。