いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

両親に見せられて良かったなと思うこと

両親を迎えての週末が終わった。今日彼らは九州へと帰って行く。

 

昨日も娘はじいじとばあばにたくさん遊んでもらえた。今年の夏に帰省したときよりも、更に一段と仲良くなれたようだ。

 

私たちとしても娘の成長を両親に見せられてとても嬉しかった。中でもこんな面が見せられてよかったな、と思ったのは次のようなことだ。

 

1.挨拶やお礼が言えるところ

この二日間、娘は自分から挨拶やお礼を言っていた。おはよう、おやすみ、ありがとう。それだけが言えるだけで、心がしっかり育まれているということが見て取れるのではないだろうか。

 

またそれらの言葉がすっと言えるということは、普段の躾ができている証であるので私たちとしても鼻が高かった。「お利口さんね」と言われるので、娘としても嬉しかっただろう。

 

2.おしゃべりなところ

最初こそ人見知りを発揮しよそよそしかった娘も、初日の夜からはいつもの感じを出し始めた。つまりは、とにかくおしゃべりな一面を見てもらえたのだ。

 

私たちや両親に向かってはもちろん、テレビに向かって、ぬいぐるみに向かって、一人宙に向かって、娘はとにかく何かを喋り続けている。よくよく聞くとなんとなく話している内容もわかるので、知能が発達してきたことも感じ取ってもらえたのではないだろうか。

 

3.元気に身体を動かすところ

心、頭の次は身体だ。私が娘に対して嬉しく思うのが、その3拍子が揃って順調に成長していっているところだ。この身体の成長についても、前日は発熱したこともありやや控えめだったが、昨日は思いっきり見せることができた。

 

台風で外には近所のスーパーに行くときにしか出られなかったものの、家の中でもジャングルジムやすべり台、ライド、ダンス、はいはい追いかけっこなどを通じて、身体面での発達を見てもらえたように思う。

 

このように、わずか2日間のあいだだったが、両親には娘の良い面をたくさん見せることができた。両親も娘とじっくり触れ合え、元気いっぱいな姿も見られて嬉しそうだった。

 

もちろん、いたずらっ子なところも、泣き虫なところも、ワガママなところも、悪い面も同じくらい見せることになった。しかしそこも含めての娘だろう。ありのままな姿を見せられて本当に嬉しく思う。

 

さて、両親とは本日でお別れだ。あれだけ仲良くなったのだから、別れの際に娘はさぞ寂しがるのではないだろうか。

 

私はこれから会社に行くので残念ながらお別れのシーンには立ち会えないのだが、最後までいい時間を過ごしてくれることを願っている。


次両親に会えるのはいつだろうか。いつになるにせよ、そのときにはまた娘の成長を見せられたらいいな。