いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

すっぱ、おいしい

昨日、娘がおままごとをしているときに、こんなことを言っていた。

 

「すっぱ、おいしい」

 

娘は一瞬顔を渋め、そのあとで満面の笑みを浮かべる。娘が同じ物を私の口に持ってきたので、彼女に同調し私も同じリアクションを取った。

 

私たちは何度かそれを繰り返した。「すっぱ、おいしい」「すっぱ、おいしい」。娘はケラケラと楽しそうに笑っていた。

 

実は一昨日、娘に初めてグレープフルーツのゼリーを食べさせた。娘はおそらくこのときのことを思い出して遊んでいるのだろう。

 

娘はゼリーが好きなので、最初はためらうことなく口をあけた。しかし、咀嚼するうちにグレープフルーツ特有のすっぱさが口に広がったのか、一瞬で顔を硬直させ、小刻みに震えながら驚きを露わにしていた。

 

その後はしばし、怖くなったのかスプーンをもっていっても口を開けようとしなかった。しかし少し時間が経ってくると、余韻の甘さが広がってきたのか、再びゼリーを食べたいと主張してきた。

 

ゼリーを口に入れる。娘は再び驚きの表情を浮かべながら口をすぼませる。しかし、次第にそれも緩和されていき、最終的には美味しそうな笑みを浮かべていた。

 

それを何度か繰り返した。これは「すっぱ、おいしい」って言うんだよ、と妻が娘に教えていた。この二段階ある味わいに娘はすっかり魅了され、クセになっている様子だった。

 

そんなわけで、昨日のおままごとでもこのときのことを再現していたのだろう。彼女にとってそれだけ新鮮で、そうとうお気に召したに違いない。

 

それにしても、「すっぱい」と「おいしい」という複合的な感覚も、娘はもう感じられるようになったんだなぁ、と感心してしまう。

 

実際、世の中はこのように複数の感情が一緒くたになっているものの方が多い。“酸いも甘いも”なんて言うけれど、本当に様々な感情が絡み合うことで、人生には深みと味わいが生まれてくるものだ。

 

そういう意味では、娘も遂にその世界の入り口に立ったのかもしれない。入り組んだ複雑な感情をなぞりながら、人生を味わい深いものにしていってほしいな、と親としては願うばかりである。

 

ただ、ままごとをする娘の“混じりっけなし”の笑顔には、私も未だ「可愛い」以外の言葉を見つけられないでいるのだけれど。