いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

なんらいつもと変わらない

今日から4月が始まる。それこそなんだか嘘のようだ。

 

2019年ももう4分の1が終わったことになる。毎年毎年、その過ぎ去る速度は増す一方ではないか。今年は新幹線のような速さであっという間に通り過ぎて行った。

 

また本日、政府より新たな元号が発表されるらしい。つまり今月は“平成最後”の月である。それが今日始まったわけだ。いつもと全く変わらない朝なのだけれど。

 

平成という言葉自体に特に思い入れがあるわけではないが、やはり物心ついた頃からずっと平成だったので、それが変わるとなると違和感は覚えるのだろう。果たして慣れるのにはどれくらいかかるのだろうか。

 

それ以外にも、4月はいろいろなものが変わる。小さいところだと朝ドラも変わる。妻の勧めで途中から見始めた『まんぷく』は、結局最後まで見てしまった。朝ドラをしっかり見たのはこれが初めてのことだった。

 

大きいところで言えば、仲の良い友人は今日から転職先の会社で新しい仕事を始める。さぞ緊張するだろう。今週末、一緒に花見をする約束をしたので、そのときに話を聞かせてもらうつもりだ。

 

と、ここまで文章を書き終わり、最初から読み返してみた。エイプリルフールではないが、そこに書かれていることに、自らで嘘っぽさを感じてしまった。

 

私は本当に今日という日に、文章として書きたいほどに何かを感じているのだろうか?

 

書いたことは本当だが、正直に言えば、特に書きたいほどの想いがあるわけではない。なんらいつもと変わらない、会社に行くのが億劫な月曜の朝だ。

 

それでもこんな風に書いてしまったのは、何かしら新鮮さを感じたいからなのだろうか。その深層心理はわからない。そうなのかもしれないし、そうでないのかも。

 

でもひとつ明らかなのは、今日が私にとっては、特に真新しくもなく、特別でもない日だということだ。

 

会社に行って仕事をし、家に帰って家族と過ごす。そんな平凡で、ささやかな、私のいつもの1日なのだ。

 

きっとこんな風に、今年度もすぐに過ぎ去ってしまうのだろう。しかし別に、それが嫌なわけでもないのだ。