いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

「できる自分」の積み重ね

昨日は社内資格の試験を受けてきた。

 

入社したての時に取った資格の更新だ。現業とは関連の薄い内容だし、もはや若手とも言えない立場なので別に更新しなくてもいいのだけど、持っていて損はないので一応試験を受けた。もらえる奨励金もおいしいし。

 

受けるとなると落ちたくはない。最低限の勉強はして臨んだ。これまでも試験と名がつくもので、失敗した経験は少ない。性格の問題だろうか。もしくは小学校のころから積み重ねた“試験は得意”という自負を、今でも引きずっているのかもしれない。

 

思えばそのような自負、言いかえるなら矜持を持つことは、大事なことのように思う。そしてそういったものを持つためには、最初の入り口が肝心なのではないか。

 

小学校の試験なんて、普通にやったら誰もが良い点数が取れるだろう。そこでしっかりと良い点数を取って「自分はできるんだ」という自信と快感を得るのが、意外と大切なことなのだと私は思う。

 

いったん「自分はできるキャラ」だと自覚すれば、その後は良いサイクルが回りだす。次も良い点をとって「気持ちよい自分」を保とうと、自然と頑張りはじめるのだ。まさに私の場合がそうであったような気がする。

 

仮に最初でつまづき「どうせ俺はバカだから」という自覚を持ってしまうと、その後はずっとそれを引きずり、“やらない言い訳”をやすやすと手に入れてしまうことになる。まぁ勉強ではなく、他の分野で何か自信の持てるものを見つけられたらそれでよいのだけど。

 

そんなわけで、小学校の自分および親の教育のおかげで、今回の試験も満足のうちに終了することができた。結果は後で出るのだが、合格は間違いないだろう。

 

娘も学校に通うのはまだまだ先だが、最初でつまづかずに、自然と「できる自分」の楽しさを味わえるよう、サポートしてあげたいなと思っている。

 

最初だけ注意してあげていれば、その後はほっといても、自分のために頑張りはじめるだろう。

 

そして勉強以外でも、スポーツや芸術、なんでもいい。これだけは「できる」「得意だ」「負けたくない」そう思えるものを持ってもらいたいな。きっとそれらがいつまでも、彼女の人生を支えてくれるはずだから。