いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

食洗機でトラブル

昨日は食洗機でトラブルがあった。

 

というのも私が誤って、台所用洗剤をボトルに詰め替えし、その液を食洗機に入れてしまったのだ。運良く妻がその場に居合わせ、食洗機を回し始める前に気がつけたからよかった。

 

私は知らなかったが、台所用と食洗機用の洗剤は「似て非なるもの」らしい。しかも台所用は泡立ちが良すぎるため、食洗機に入れてしまうと故障を引き起こす“毒”となるようなのだ。

 

すぐに妻がネットで対処法を調べてくれ、地道な作業を繰り返し、入れてしまった洗剤を丹念に取り除いた。そのことで、娘を寝かしつけ夫婦ふたりでゆっくりできる貴重な時間を、一時間ほどもロスしてしまった。

 

作業を終えたあと、まずは手間をかけてしまったことを妻に詫び、次に、今回のトラブルについて今後のことも踏まえ反省会をしたい、という話を切り出した。

 

今回の根本原因はふたつある。まずは台所用と食洗機用のふたつの洗剤があり、そのうち台所用が食洗機にとって毒であることを、私が知らなかったことだ。

 

ボトルの詰め替え作業は必ず妻がやる、というならいいが、もちろんそうとは限らない。夫婦間での注意喚起を事前に徹底しておくべきだった。

 

もうひとつは、そのような『間違いやすいが、間違えてはいけないもの』を、同じ場所に置いていたことだ。ふたつの洗剤メーカーは一緒で、同じマークがついているため、一見しては違いがわかりづらい。

 

更には、台所用の方が引き出しの手前に置かれていたため、ふたつの存在があることを知らない人なら、高い確率でそちらの方を手に取ってしまったに違いない。

 

会社でいえば、必ず「人はエラーを起こす」ことを前提に、仕組みや体制はつくらなければならない。今回の例が会社で起きたなら、間違いなく、体制に問題があったと判を下されただろう。

 

今回の件を極端に例えると、歯磨き粉チューブの手前に、そっくりな毒入りチューブを置いているようなものだ。存在を知らされていない人は、なにげなく手前のチューブをとり、歯磨きをしてしまうだろう。もしそれで死亡事故が起きたなら、誰が取り間違った人のことを責められるだろうか。

 

このようなことを間違った張本人である私が言うと、自己擁護ように響くことがわかっていたため、妻に話をする際には幾分緊張した。

 

しかし今後のより大きなトラブルにもつながる、大切な教訓だと思ったからこそ、私は妻に自分の考えを共有しておきたかったのだ。

 

話をすると、妻はしっかりと聞いてくれ、再発防止策としてボトルの置き場所を再考すると言ってくれた。私はとても嬉しかった。妻の懐の深さに感謝したい。