いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

やめるときも、すこやかなるときも

窪美澄の『やめるときも、すこやかなるときも』読了。
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文庫の新刊として本屋の棚に置かれており、その表紙の美しさから手に取り読んだ。窪作品を読むのは久しぶりのことだ。相変わらず、タイトルが興味を惹かせる。

 

読みやすい文章でさらりと読めた。ただオーソドックスな恋愛小説で、窪作品としては少し肩すかしを食らった。いつもの過激な描写や、人間の醜さ愚かさをあぶり出すようなシーンが、まったくなかったのである。

 

そのような、それまで『自分の武器』であったものたちを使わずに、ストレートな物語をつくってみよう。そんな新境地を切り拓く挑戦だったのかもしれない。しかしこのように勝手な読者は物足りないなどと言い出すので、作家はバランスをとるのが大変だろうなと思った。

 

でも家具職人が主人公という設定はよかった。家具づくりに興味を持ち、オーダーメイドの椅子の座り心地を体験してみたいなと思わされた。

 

巻末の解説を読んで、腑に落ちたことがある。窪はこの作品の前の作品『さよなら、ニルヴァーナ』で、深い闇を描いた。その反動で「光が差す物語を書きたかった」とインタビューで語っていたというのだ。

 

私はその前作は読んではいないが(あらすじだけで不快な気持ちになりそうだと思ったため)、そうだとすれば納得がいく。作家はそういう精神的なバランスもとりながら、物語を生み出し続けていくものなのだろう。

 

この小説は年明けからドラマ化もされるようだ。たしかに起伏があり、そのわかりやすい展開は、ドラマにしやすそうだ。読みながら頭の中には映像が浮かんできた。

 

キスマイの藤ヶ谷と奈緒という女優が主演らしい。覚えていれば、観てみようかなと思っている。