いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

鏡の中の吉沢亮

鏡に映る自分の顔にふいに吉沢亮を見かける時がある。

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ほとんどの場合、瞬きをするとすぐに消え去ってしまう。まるで初めからそこには居なかったかのように。

 

数日前、ドライヤーをかけているときにも彼を見かけた。確認をしてみようと、隣にいた妻に尋ねてみた。

 

「俺、少し吉沢亮に似てるかな?」

 

妻は何度尋ねても「え?」と言い、聞こえていない様子だった。最近疲れていると言っていたので、聴力が少し低下しているのかもしれない。私は少し心配になった。

 

ちなみに、今朝鏡の前で髪をセットしている際には、伏し目がちな角度で新田真剣佑の面影を見つけた。私は一重だし、造形は全く異なるはずなのだが、醸し出すアンニュイな感じが、なんだか彼を彷彿とさせたのだ。

 

「俺、新田真剣佑にも少し似てるかな?」

 

一応、妻にもそう尋ねてみると、ごにょごにょと嘆くかのように何かを口にしていた。私の視力がどうとか、頭がどうとか。腐ってる、狂ってる、など野蛮な言葉が聞こえたような気がする。この手の話になると、妻とはうまくコミュニケーションが取れなくなるようだった。

 

しかし、なぜいつも一瞬なのだろうか。別に彼らの顔になりたいなどとは一度も思ったことがないのだが、「しばらく顔のスペースを貸してくれないか」と頼まれたら、貸してあげるのもやぶさかではないと思っている。

 

そんなことを考えながら、マンションのエレベーターに乗った。中には全身が映る姿見が付いている。驚いた。引きでみた自分が、とてもちんちくりんに見えたのだ。

 

「俺って、もしかして顔でかいかな?」

 

「うん」妻の返事は早かった。