いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

楽するリーダー

帰りにたまたま一緒になった後輩から言われた。

 

YouTubeの○○チャンネルって見てます?」

 

チャンネル名は忘れた。ただ突然の問いかけに、頭にハテナが浮かんだ。私が怪訝な顔で聞き返すと、後輩は「いや」と照れたように笑って、こんなことを言った。

 

「先輩、よく『それいいね』って肯定して、アイデアを取り入れていきますよね。もしかしたらあのチャンネルの影響を受けて、実践しているのかなと思いまして」

 

つまりこういうことらしい。そのチャンネルでは「物事を肯定する生き方」を提唱し、高い人気を博している。彼は私もその視聴者であり、日々の仕事の中で「教え」を実践しているのではないかと思ったようなのだ。

 

私はひとしきり笑ったうえで、そんなものは知らないとしっかり否定しておいた。そんな風に思われていたと知り、少し恥ずかしい気持ちにもなったが、彼の表情を見る限りでは、どうやら私を馬鹿する意図はないようだ。

 

「いや、すごいなと思いまして」。そんな彼の言葉を聞きながら、私は自分の行動を振り返ってみた。確かにここ最近、そんな場面が多かったかもしれない。でもそれは単に提案が良かったからだよ、と私は素直に伝えた。

 

彼は私がリーダを務める部門内プロジェクトのメンバだ。少し前から重要な役割を任せており、そこで期待以上の働きを見せてくれている。やる気に溢れており、積極的に新しい提案を持ってきてくれるのであった。

 

メンバたちの提案を柔軟に取り入れ、すぐさま実行へと移す私に、彼は感心してくれたのであろう。そのように思い当たり、私は少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 

だってリーダの立場からしてみれば、こんなに楽なことはないからだ。やる気のある優秀なメンバがいて、そこから筋の良い提案が上がってくる。私はただそれを採用し、チーム全体に然るべき形で伝えればよいのだから。

 

私が立てた基本方針の上に、様々な長所をもったメンバたちの意見が乗っかり、よりよい方向へと向かっていく。それでチームも活性化するし、良いことずくめだ。

 

それに、意見が取り入れられると知ると、他のメンバからも多くの意見が出てくるようになる。この好循環を「好し」としないリーダが、果たしているだろうか?

 

今年の春に部門長を説き伏せ、私が0から立ち上げたチームだったが、9ヶ月ほどの活動期間を経て、ようやく良いフェーズに入ってきたようだ。メンバは50名ほど。彼らのおかげで、私は今とても楽ができている。

 

無意識の賜物だったが、好循環を生み出せばリーダはとても楽ができるということを、今回身をもって知ることができた。将来、管理者になるときにも使えそうな気付きなので、この経験は覚えておきたいなと思った。