いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

こころ朗らなれ、誰もみな

アーネスト・ヘミングウェイの『こころ朗らなれ、誰もみな』を読了した。翻訳は柴田元幸である。
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先日『日はまた昇る』を初めて読んで以来、ヘミングウェイへの興味が尽きていない。ということで、次は短編集を読んでみることにした。彼は短篇の名手としても知られているからだ。

 

様々な本が出ているが、大好きな翻訳家である柴田が訳している本書を選んだ。久しぶりにハードカバーを買うのでしばし逡巡したのだが、結局はその素敵なカバーにも惹かれ購入した。長らく絶版になっていたが、少し前に再版されたというのにもなんだか運命を感じた。

 

短い短篇を中心に19篇もの小説が収録されている。ページを捲り、初めの1、2篇を読んで実感する。うん、ヘミングウェイは短篇の方が好きかもしれない、と。

 

巻末の解説で柴田も似たようなことを書いているが、ヘミングウェイの特徴である「無骨な文体」と、「できるだけ書かない」というミニマムな執筆スタイルは、短篇でこそよりその真価を発揮するように思う。

 

2冊目ということで、私自身もヘミングウェイの文体に馴染んできたからということもあったのだろうが、短篇の方がとても読みやすかった。また、そのシンプルな文体が生み出す効果を、より体感しやすくもあったのだ。

 

読めば読むほど、それ以降の時代の作家たちへの影響をひしひしと感じることができた。「できるだけ短くシンプルな文章を心がける」ということに至っては、今の時代でも広く口にされていることである。

 

本書を読み終わる頃には、すっかりヘミングウェイの偉大さを理解できていた。あれだけシンプルな言葉を使って、なんて深い世界を描くのだろうと。彼は誰もが書けそうな文章で、誰も書けないものを書いているのだ。

 

1篇だけをあげるとすると、やはり傑作と名高い『心臓の二つある大きな川』という長めの短篇が一番印象に残っている。盟友フィッツジェラルドが「何も起こらない物語」と称したというほど、ただただ大自然の中で男がキャンプをする描写が続いていくだけの小説である。

 

淡々とした描写の積み重ねだけで、ここまで読み手を惹きつけられるのは本当に凄い。とても退屈な話なのに、なぜかすぐにでも読み返したくなるのだ。世界中で様々な論文が出されているが、戦争で負った精神的な傷を癒やしている男の物語、という読み方が通説のようだ。

 

本書を読み終えた後でもヘミングウェイを読みたい欲は未だ止まらない。次はエッセイを手に取りすでに読み始めている。もう少し彼のことを知っていこうと思う。