いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

部長に感動させられた話

昨日は仕事をしていて感動する場面があった。

 

先日は課長が素晴らしい人だと書いていたが、その上の部長はまた別のレベルで尊敬できる人だ。昨日その部長へと説明をしている際に、私は感動に包まれることとなったのだ。

 

うちの担当は、全社的なお金のマネジメントを担うところである。年間で所掌する金額の規模は数千億円に及ぶ。それらを有限のリソースと捉え、どの施策にどれだけ配分するかを司る。

 

簡単に言えば、そのコストを払うことで、将来的に多くの収益を生みだす施策、もしくはそれ以上のコストを食い止めることができる施策、に対して多くのお金を配分すべきだ。

 

人にしろ、お金にしろ、リソース配分とそのマネジメントというものは、企業の経営に直結する、とても重要な仕事なのだ。

 

昨日行った部長への説明は、当初に立てた計画に対し、お金の実績にどのような差分がでているか、の分析結果を報告する場であった。私は数字として出ている結果を紐解き、差額に対する理由をひとつひとつ説明していった。

 

しかし部長は私の説明を聞きながら、予想外の角度からの質問やコメントばかりを繰り出した。違和感を覚えながらもなんとか返答し、説明自体は無事に終えたのだが、説明後のアフタートークで先の違和感の正体が判明する。

 

部長は表示された数値ではなく、その裏にある施策自体の方へと常に視線を向けていたのである。数値はあくまで結果。実際に行われている施策のバロメータに過ぎない。計画に対する差額の善し悪しを見るのではなく、その差額から浮き上がる、施策自体の実態を見ていたのだ。

 

そしてその数値的根拠をもとに、今起きている問題、もしくは今後起きるであろう問題を推察し、アクションとして、施策主管の方へ進め方の抜本的な見直し等を指導していくのだ。

 

私は部長の話を聞きながら、感動と反省に包まれていた。私は数値しか見ていなかった。その先にある、施策の状況などは、あくまで参考程度にしか捉えていなかったのだ。

 

真は真逆である。数値が参考で、本質は施策自体にある。それらの施策が順調に実行されることで、はじめて会社に利益がもたらされるのだ。

 

数値ではなくその先の仕事を見ろ。思えばよく聞く言葉である。部長はまさしくそれを地でいっていた。言葉で言うのは簡単だが、真にそれを実行している人を目の当たりにして、自分が担う役割の奥深さに、身震いする思いだった。

 

私がこの仕事の本質へと辿り着いたことを悟った部長は「俺、もともと数字とか見るの嫌いだからさ」とおどけながらに笑顔を向けてきた。

 

「数字の奥にある、施策の実態を見るんですね」。私がそのように答えを口に出すと、部長は正解の笑顔を浮かべ、「きっと楽しめると思うよ」と、暖かい眼差しを私に向けてくれた。

 

私の中で抜本的な意識改革がなされた。それも部長の言葉により自発的に改革が行われたことで、自分の心に深く根が張られた。この仕事との向き合い方が、今後大きく変わるだろう。

 

一流の上司は自分の背中を見せるだけで、部下の育成を行ってしまう。出世の早い部長は来年にも異動してしまうだろう。一緒に仕事できる間に、ひとつでも多くのことを学ぼせて貰おう。