いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ほんま関西弁やで

娘が小学校に通って早3ヶ月。

 

おしゃべりの端々でお友達から移ったのだと思われる関西弁が混ざるようになってきた。語尾のイントネーションが本場のそれなのである。私のようなエセとは比べ物にならない。

 

「ほんま・・・やで」

「すごい・・・やねんけど」

 

おお、おお、と、自然に口にされる関西弁ばかりが気になって、娘の本日の小学校に関するエピソードトークが頭に入ってこなかった。

 

そういう意味では、娘は生まれこそは妻の実家の九州だが、0歳の時から大阪に住んでいるので、当たり前と言えば当たり前なのだが、両親の我々がどちらも標準語なので、我が家においては異質な存在といえる。

 

思えば私の鹿児島の実家でもそんな現象があった。両親は標準語なのに、妹だけはコテコテの鹿児島弁なのだ。私や兄は高校卒業後に鹿児島を離れたが、妹だけは大学も就職も鹿児島に残り、ゆえに方言が抜けることなくすっかり板についているのである。

 

そのように、うちの娘もこのまま関西弁ガールの道を一直線なのだろうな。まあ、彼女には似合っているし、思いのほか可愛げがあるからいいのだけれど。