いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

親の成長

おそらく成長の過程なのだろうが、最近娘はよく私たちの真似をしたがる。

 

うがい、手洗いをしたがったり、大人用の椅子に座りたがったり、同じものを食べたがったり・・・。私と妻がやることなすこと、自分もやりたいと主張してくるのだ。

 

言葉遣いもそうだ。ちなみに私の一番のお気に入りは、妻が口にする「綺麗ねぇ」という台詞を娘が真似るときだ。

 

道端に花が咲いているときなどに娘に対して使っていた言葉だが、最近では娘が私たちに対して使ってくる。

 

昨日も布団で家族三人じゃれている時に娘が使った。妻の足に塗られたマニキュアを見て「きえいねぇ」と娘が感慨深そうに褒めたのだ。言われた妻は笑いながらも、とても嬉しそうだった。

 

すごいなと思うのが、ただ台詞を真似しているだけでなく、しっかりと使いどころがわかっているところだ。そのほかにもいくつかの台詞を覚えているのだが、今後ももっと増えていくのであろう。 

 

そうなると、自分の言葉遣いにももっと気をつけなければならないな、と思う。妻はもともと教師をしていたということもあり、日常で使う言葉使いがきれいだ。心配なのは私。うっかり汚い言葉遣いを聞かれ、真似されないようにしなければ。

 

それと昨日、娘はお風呂掃除も真似してやりたがった。

 

一緒にお風呂場にいった際、掃除用のスポンジを見つけると、独りでに手に取り浴槽を擦りだしたのだ。きっと私がやっているのをいつか見ていたのであろう。

 

あぁ、こんな風にして子どもはお手伝いを覚えていくんだなぁ、と私は思った。楽しいこととしてやりはじめ、褒められるから続けて、次第に大切なことに気づいていく。

 

こうやって少しずつ娘は成長していくんだ。そんなことをふいに実感できた昨日の出来事だった。

 

子どもは大人の真似をしたがる。だからこそ大人は立派な言動をしなければならない。ちゃんとした子どもに育てたいなら、まずは自分自身がちゃんとしなければ。

 

きっとこんな風にして、子どもが親を成長させていくのであろう。娘と接していて、そのことを改めて感じさせられる。

 

もっともっとしっかりした大人になろう。模範となれる存在になろう。

 

だから娘よ、見ていてね。