いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

娘との関係性

どうも娘は私のことを友達だと思っている節がある。

 

昨日仕事から帰り、娘にせがまれるがままに遊んでいるときに、そんなことを感じた。

 

あきらかに妻と私に対する態度が違うのだ。というよりも、ものごとによってお願いする相手を使い分けている、という方が正しいかもしれない。

 

そういう意味では、「遊び」に関しては私にお願いをしてくる。ようは一緒に遊ぼうと誘う相手が私ばかりなのだ。完全に「遊び相手」だという認識をもたれているように感じる。

 

一緒にやることといえば、変なポーズをして歩き回ったり、布団にくるまって遊んだりと、とてもくだらない遊びばかりなのだが、それでも娘は楽しそうにケタケタと笑ってくれる。

 

昨日も、そんな遊びをせがまれるままにエンドレスで続けていた。そしてふと、果たして父親としてこれでいいのだろうか、ということを考えてしまった。

 

妻にその気持ちを打ち明けると、「今の関係性はとてもよいと思う。私は見ていてすごく嬉しい。」ということを言ってくれた。

 

たしかに妻の言わんとすることもわかる。そのように褒められて嬉しかったのも事実だ。

 

しかし、それでも私は心の中で、この関係性のままでいいのだろうか、という疑念を払拭することはできなかった。

 

いつか態度を変えるとしたらどのように変えていけばいいのだろうか?いつから変えればいいのだろうか?変えたところで娘の認識は今更変わるのだろうか?などなど、悩みは更に発展していくこととなった。

 

いつのまにか私は「こうなりたいと思い描いていた理想」とは異なる関係性を娘と築いていたんだなと思った。

 

私の思い描いていた理想は、もっとどっしりとしていて、頼りになって、娘から尊敬される、そんな父親像であり、関係性だった。

 

しかし現在は「きっとこうなるだろうなと思い描いていた想像」通りの関係性を築いている。

 

私の性格上、今のようになることは自分でも容易に想像がついていた。そのため今更ショックを受けることはないのだが、それでも、なんだかなと少しだけやるせない気持ちになってしまう。

 

とはいえ、私が今のやりかた以外ができるかと言われれば、できるわけがない。カッコいい父親になろうとしたところで結局は続かず、どうしてもデレデレのパパになってしまうのだ。

 

まぁ、小さいうちは今のままでもいいだろう。存在意義があるだけでもよしとするか。そう私は自分に言い聞かせることにした。

 

世の中のパパたちはどうなんだろうな。娘と理想通りの関係性を築けているのだろうか。そんなことが少しだけ気になった夜だった。

 

もうしばらくは模索する日々が続きそうだ。

 

娘がもう少し大きくなるまでに、納得できる答えが見つけられたらいいのだけれど。