いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ロジカル・シンキング研修に参加

ロジカル・シンキングの外部研修に参加した。

 

ある程度自信をもっているスキルだが、改めて体系的に学び直し、次のステップに備えようと思ったのだ。そのため会社で紹介された研修の中でも最もレベルの高い「上級者向け」の研修を選んだ。

 

しかし冒頭からその期待が裏切られる。講師が「基礎から学習するので初心者でも大丈夫」などと言い出すのだ。また参加者に手を上げさせたところ、ほとんどが自主参加ではなく、昇格のために仕方なくといったような、モチベーションの低いメンバが集まっていた。

 

研修がはじまり、まず最初の演習があった。「ロジックツリー」といわれる、代表的な思考ツールを試しに使ってみようといった内容だった。そこで研修のレベルを表すような象徴的な出来事があった。

 

個人ワークで考えたものを、各自順番にホワイトボードに書いていく。まだ使い方もしっかりと教わっていないためか、みんなが書くツリーは枝の伸び方がいびつで、網羅性がまったく考慮されていなかった。

 

私の番になった。それまでとは全く異なるツリーを書き説明した。受講者のほとんどは「ぽかん」という顔をしていた。その後、講師が各ツリーについての軽いコメントを付与していき、その演習は終わった。

 

全てのボードが消され次の演習へと進んだが、講師から私のボードだけは消さずに残しておくよう指示がでた。

 

その時点で私には、それが今後どのように使われるのか、どの章の説明で改めて持ち出されるのかまでがわかってしまった。案の定、私の書いたツリーは、研修最後の「網羅性」の章で再び全員の前で説明された。

 

これがロジックツリーのとても優れた例です。一日の研修を受け、やっと他の受講者たちの顔にも「納得」の表情が浮かんでいた。悪い気はしなかったが、ここで何を言いたいのかというと、そのレベルに到達するために丸一日の時間を費やした、ということについてである。

 

これはこの研修の講師や受講者に対してではなく、この研修を「上級者向け」と銘打って社員に紹介した、我が社の育成担当に対して文句を言うべきであろう。

 

とはいえ、今更つべこべ言っても仕方がない。なんたって研修は二日間もあるのだ。言うても、基礎を改めて学んでいくと小さな発見もあるし、他社の人達の前で自分の意見を発表するという貴重な機会は得られる。

 

過度な期待はしないものの、参加するからには、今日も何かを得られるよう真剣に研修に臨もうと思う。