いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

キーホルダーにしたい。

このところ息子の可愛さが留まることを知らない。

 

こんな残業終わりの帰り道にすら、ふとその姿が頭に浮かび、ふふふっと頬が緩む。目はぱちくりと見開き、口は半開き、ちょこんと地べたに座って、少し前屈みになっている。そんな姿を思い浮かべる。

 

たしか娘のときもそう思った気がするが、その愛らしい姿をキーホルダーにして、いつでも持ち歩きたい気持ちになる。その純朴で、おバカそうな表情が良いのだ。すみっコぐらし等のゆるキャラの原点は、きっと赤ちゃんであるに違いない。

 

思えばまだ息子が産まれてくる前には、「私は果たして男の子を可愛がれるだろうか」と不安に思っていたものだ。男女の子供をもつ先輩からは「どっちも別の可愛さがあるよ、男の子はアホで可愛いよ」と聞いていた。まさにその通りだと、私も思った。

 

娘は“女の子”だというだけでキュンキュンさせられっぱなしだったが、息子は“生物”としての愛おしさをより強く感じられる。いわば仔犬やハムスターに対して抱く感情と、よく似ているように思うのだ。

 

食事のときも、口の前に持っていったスプーンはいくらでもパクパクと食べるし、なんなら食べ物以外でも、気になったものはなんでも口にいれている。

 

ずりずりと動き回り、至る所にちょこんと座っては、たまに手や足を滑らせ、頭をコツンと床でうち、びえーんと泣き声をあげる。

 

ひとりほっとかれても大概は大人しく遊んでいるが、部屋にひとりぼっちにされるとさすがに寂しいのか、いつにもない大声を上げ、アピールをする。

 

覚えたてのずり這いで、嬉しそうにニコニコと笑いながら、私たちをどこまでも追いかけてくる。

 

その所作全てが愛おしい。まるでペットのように可愛がれるのだった。今の時期だけの特別な愛し方。