いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

監督不行き届きのタンコブ

杵でコンクリートを打つような音がした。

 

緩い傾斜の坂道を息子が駆け下り、その勢いのまま平坦になったところで躓いたのだ。受け身が間に合わず、額を直にアスファルトに打ちつけた。

 

私はすぐ後ろで彼の後を追っていた。しかし突然のことで何もできなかった。すぐに駆け寄りだき抱える。割れんような悲鳴を上げ、息子が泣きじゃくった。

 

額を見ると流血はしていない。いくつかの擦り傷に血が滲んでいる程度だ。不幸中の幸いで、アスファルトに石ころなどはなかったようだ。それでも額は大きく腫れ上がっていた。あの鈍い音からしても、尋常じゃない痛みが息子を襲っているに違いない。

 

意気消沈しながらも、あまり揺らさぬようにしながら妻の待つテントへと戻った。近所の緑地公園に先ほど到着し、拠点を作り終えたばかりのことであった。

 

妻が抱っこを代わり、おっぱいをあげようとしても、息子はまだ痛みに悶えていた。改めて前髪を捲り上げると、これぞ、というばかりの立派なタンコブができていた。娘のときも含め、これまでに見たことがないほどの大きさだった。

 

その後もあやしつづけ、少し落ち着いてからおっぱいを咥えさせた。そのうちに絆創膏を貼る。なるだけ痛くないよう、できる限りソフトに貼り付けた。おっぱいを飲み終わると、痛みも落ち着いたのか彼は徐々に通常のテンションへと戻っていった。

 

しかし私のショックはその後も去らなかった。あきらかに私の失態である。監督不行き届きによるタンコブ。なぜ芝生でなくアスファルトを歩かせた?坂道で転ぶことの想定はそんなにも難しかったか?『かもしれない監督』をぬかった私の落ち度である。

 

失意の中で昼食を食べ終わると、息子は遊びへと行きたがったので私がふたたび彼について行った。今度は一瞬たりとも気を抜いてはならない。私は腰を低くして彼の背中へと張り付き、少しの傾斜でも歩く彼の前後へ手を添えた。

 

もはや彼は元気いっぱいでいつも通りの彼であった。しかし額には大きな絆創膏がある。その下の痛々しいタンコブを思い出し、そのたびに胸が痛んだ。あの鈍い音がいつまでも私の頭から離れなかった。

 

そういえば先日も彼を歩かせ、転んで顔にアザを作らせてしまった。今ではそのアザもだいぶ薄くなってはいるが、またしても彼の綺麗な顔に傷をつけてしまったと思うと心底悲しかった。

 

前歯が折れたり、目や鼻を打ったりしなかっただけでも良かったと思うしかないのか。炭治郎のように生まれながらの石頭であることを心から願った。お風呂上がりに絆創膏の下のタンコブを直視するのがツラい。