いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ふしぎないきもの

今日も特に何もせずに家で過ごした。

 

平日ではできない、子供らと一日中いっしょに過ごすということをしていると、改めて子供らの可愛らしさを実感させられる。

 

自分の願望を真っ直ぐに求め、感情そのままに喜怒哀楽を表現する。6歳の娘と2歳の息子で、またその可愛いポイントも異なり、それぞれの相乗効果も発揮するので、見ていて興趣に尽きないのであった。

 

中でもまだ完全に人格が形成されていないだろう息子の方は、観察していて生物としての面白みを感じられる。ふと俯瞰の視点で捉え直した時に、このような無垢な生物と一緒に生活していること自体が、とても不思議に思えてくるのだ。

 

そしてそんな彼に懐かれ、曇りのない真っ直ぐな眼差しで何かを訴えられ、的確にコミュニケーションができたときには、なんとも言いがたい小さな感動を覚えてしまうのだった。

 

今も眼前で、夜食の玄米フレークをひとりボリボリと齧りながら、お気に入りの教育テレビの録画を眺めてキャッキャと笑っている。

 

なくなると皿を渡してきて、もういっこ、とお代わりを要求してくる。歌いたい曲があると椅子から降りテレビ前まで行って、身体を揺らしながら歌い出す。

 

長期休暇は何をせずとも、このような贅沢なひとときを過ごせるのが有り難い。休暇はあと一日で終わるが、充分にリフレッシュできた気持ちになれている。

 

なんであれ、このようにキュートで少しばかり奇妙な生物との共同生活は、今後も続いていくのだ。そう思うと、たとえどんなにハードなときがあれど、愉快な毎日が過ごせそうな気持ちになってくるのだった。