いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

指導に頭を悩ます

今日は指導法に悩まされた日。

 

ひとつめは仕事だ。入りたての新人君を部下に、新しい提案書作成を始動させたのだが、予想を上回る出来なさに、どう教えたものかと、頭を抱えてしまったのだ。

 

思えば、このようなヒヨッコ君に指導して育成するミッションはなかなか大変である。本来、育成責任はマネージャーなのだが、実質的な指導は我々クラスが受持つ。

 

マネージャーは聞き分けが良く、スキルもある程度備えた我々を指導し、我々はまったく何も持っていないヒヨッコを指導する。これって後者の方が負担大きくないか、となんだか不条理に感じた。

 

ふたつめは子供の躾だ。今日は午前中から妻が子供らを連れてお友達と遊びに出掛けており、昼からは家にそのお友達を呼んで、夕方近くまで遊んでいた。

 

さぞかし楽しかっただろうなと思っていたのだけど、お友達家族が帰ってから、妻が娘に対して叱りつける声が聞こえた。さらにはそれがいつものレベルなどではなく、過去最高くらいに妻が激昂していることがわかった。

 

夕食時に話を聞くと、なるほど、お友達を前にした娘の態度が最悪だったようである。妻は怒りのあまり涙を流すレベルで、私も話を聞いただけで娘に対して呆れ返ってしまった。

 

とりあえず私からも娘を叱り、しばらくはひとりで寝なさいと罰を与えた。とはいえ娘に今日やったことの悪さを理解させるには、人の気持ちを思いやる心を覚えさせる必要がある。それは罰を与えたところでは解決しないので、どうしたものだろうかと頭を抱えた。

 

このケースに比べたら、ひとつ目の仕事のことなんて簡単に思えてしまう。なにせそっちの相手は大人なのだ。面倒でも噛み砕いて言葉にしていけば、いつかは理解してもらえるだろう。

 

娘の方はそう簡単にはいかない。とりあえず思いついた手段として、娘にノートを渡し、今日自分がやって悪かったと思うことと、それに対して周囲の人がどのような気持ちになったのか、それを受けて今後はどうしていくつもりか、を書き出してみるようアドバイスを与えた。

 

それでうまくいくかどうかはわからないが、本人としてはその指示にまずは真摯に取り組んでみようという姿勢は見せてくれた。これが無理ならまた別の手段を考えよう。こちらはなかなか骨が折れそうである。