いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

娘の体操を眺めながらに思うこと

夕方、仕事を中断して娘の体操教室を見学に行った。

 

娘が必死になって懇願してくれるものだから。こんなふうに私に見に来てと切望してくれるのも、あと数年だろうなと思うと、私としても行けるうちに見学しに行きたくなったのだ。

 

娘は大喜びしてくれ、マンションの廊下を歩く際には私と手を繋ぎたがった。私も行くということで息子も外出できてはしゃいでいた。

 

体操教室に着くと、前の時間帯を受けている仲の良い友達家族と会った。夏休みの旅行の思い出を嬉しそうに語ってくれるお友達が実に可愛らしかった。彼女のことも小さい頃から知っているので、その成長には、つい親心のようなものを抱いてしまう。

 

娘はお友達とも会え、私たちも見学に来ているということで、満面の笑みでレッスンに向かっていった。集団の中に入るとひときわ小さな身体だけど、機敏な動きをしていて快活に見える。

 

ちらちらと私の方を確認し、たまに手を振ってくる。それでも鉄道もマットも跳び箱も、自分の番が来ると一生懸命に挑んでいて、我が子供ながらとても好感が持てた。

 

レッスンの終盤、そんな娘の姿をぼんやりと眺めながら、なんだか急にノスタルジックな気持ちに包まれた。そして、今のこの素直で一生懸命な娘の姿を、精一杯目に焼き付けておかねばという想いに駆られた。

 

きっとあと数年もすれば、この子も生意気な女学生になるのだろう。そのことはどうやっても避けられそうにない。ただ、そんなときにも思い出せるくらいに、心の拠り所となるくらい、今のまっすぐで愛らしい彼女も心の中に残しておきたいと思ったのだ。

 

きっとそれがあれば、辛い反抗期があってもきっと乗り越えられる。そのようになぜだか信じられた。

 

思いのほか情感が溢れてしまったが、そういった意味でも、今日は見学に行くことができてよかった。