いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

一九八四年

ジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読了した。
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『二十世紀世界文学の最高傑作』と謳われ、数々の著名な文学ランキングでも上位に選ばれていることから、ずっと気にはなっていた作品。家籠もりをしている今、ついにこの本を読んでみることにした。

 

予想していた通り、重量感溢れるもの凄い作品であった。これでもかというほど緻密に世界観が築かれており、読者は“暴力的”ともいえるほどに、その世界へと没入させられるのであった。

 

独裁政権による超監視社会が舞台になるが、その社会設定に説得力があるため、とてもリアルに感じられる。

 

特に『ニュースピーク』というその社会で用いられる新たな言語については、附録として学術書までがついており、細部にまで拘り抜かれた設定には唸らされた。

 

読んだ人の大部分が名著だと認める作品ではないだろうか。ただ一方で、『心のベスト1冊』としてこの作品を選ぶ人は、そんなには多くないのかもしれない。

 

私もこの本を読んで、改めて自分は文学作品を「内容」よりも「表現」に重きを置いて読んでいるんだなあ、と実感させられたのであった。

 

もちろんオーウェルも気品ある重厚かつ緻密な筆致で、特に人間の心理描写については秀逸に描いている。ただ、どの文章をとっても“ネジがきちんと締められ過ぎている”ため、読む方もついつい肩に力が入るのだ。

 

個人的な好みを言うと、私はもう少し文章に余裕のある、節々で遊びの文章をも織り交ぜた、懐の深い作品が好きである。そのような本は文章を追うたび心踊り、少し時間をおくとふたたび手に取りたくなるのであった。

 

ただ、この期に本作を腰を据えて読むことができてよかった。一読の価値がある書とはこのような本をいうのであろう。この本のタイトルをオマージュした村上春樹の『1Q84』を、改めて読み直したい気持ちになった。