いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

芝公園六角堂跡

西村賢太の『芝公園六角堂跡』を読了した。

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いつも通り、著者の経験を下敷きに書かれた連作の私小説ではある。が、この本に並べられている短編たちは、少しばかりこれまで読んだものたちと異なる質を帯びていた。

 

切り取られている時代は現代に近く、芥川賞受賞後、メディア露出も増えて、人並み以上の稼ぎを得られるようになっている頃である。

 

芸能の社交界との繋がりも得られ、ついぞ長年憧れていたミュージシャンとの交流の機会さえも恵まれた。冒頭に配された表題作では、序盤そのようなもはや上級国民とでも言えるような主人公が描かれるのであった。

 

しかしその作の後半、師匠と崇め、自分が筆をとるきっかけともなった、とある私小説作家の終焉の地を訪れる。そこではたと自身の現状を省みて、自身の底に沈んでいた初心を引き上げてくるのであった。

 

これまで、ただただ自身のゲスさを紙面に弄していた作風とは一線を画する内容だ。ただ実はそこからが面白く、そのあとに並ぶ残り三編が、この冒頭にある表題作の書き方に対する、後悔をつらつらと書いているのである。

 

もっと真っ直ぐに、自分のあきたりない状況を書くべきだったのに、件のミュージシャンに対して、気を遣ったエクスキューズを添えてしまっただの、上位の人たちとの交流について、遠慮した描写をしてしまった等、言わんでいいことを、敢えて蒸し返して、ごにょごにょと言っている。

 

それが実に作者らしくて、客観的に見ると愉快なのである。またそう言う意味では、一冊通して話の軸が通っていて、時代感も統一してあるので纏まりがある。

 

最初は薄くて、編集者側の商業臭が透けて見える本だなと、好意的な印象が皆無だったのだが、なるほど、これを一冊にするのは面白いと、読了後は感想をひっくり返したのであった(図書館で借りて読むから言えるのだろうが)。

 

なんにせよ、芥川賞受賞前後のことに興味のあった私からすれば、興味深く読めた一冊であった。これ以降、初心を思い出し作品に打ち込んだ彼が、どんな作品を書いたのか。引き続き、読むのが楽しみである。